中富村(入間郡・河越領)

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中富村は川越城より巽(南東)の方三里(約11.78km)にあり、江戸よりの行程前村と同じ、山田庄に属し、郷名は伝へず、東西十四町(約1.53km)余、南北二十町(約2.18km)、東は上富村、南は南永井村、西は下安松新田及其外入会の新田に接し、北は下富村なり、家数七十、こゝも陸田のみなり、当村は隣村亀窪村の民喜平次と云る者来り開発し、元禄九年(1696年)時の領主松平美濃守検地し、後領主も遷替ありて今松平大和守の領分となれり、

高札場

村の中程にあり、

毘沙門天社

元禄九年(1696年)の鎮座にして、上中下三村の鎮守なり、毘沙門は印子にて造れる一寸四分(約4.24cm)の立像にて、松平美濃守が守り本尊なりしと云、

別当 多門院

宝塔山吉祥寺と号す、真言宗新義、江戸四ツ谷愛染院の末、是も松平美濃守が草創にて、開山は本山第四世栄任元禄十二年(1699年)九月二十九日示寂す、本尊大日を安ぜり、

弁天社

多門院の持、