上新河岸(入間郡・河越領)
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上新河岸は郡の巽(南東)にあり、郷庄の唱前村に同じ、此地もと寺尾村の地に属し、諏訪右馬亮が城趾なりしが、荒廃して不入の如くなりしを、後に開墾せしなり、此村名正保(1644年〜1648年)の改には見えず、元禄(1688年〜1704年)に至りて始て見えたれば、其間に開けしなるべし、是より先御打入の後漸く土地も開け、川越城近郷の運送の便り宜からんが為、此所を舟着となし新たに河岸場を開きし故に、新河岸の名を得し由、村名を上下に分ちしは、新河岸川水流に依て分ちしとなり、寛文二年(1662年)四月二十四日造りし石地蔵の後光に、沢田甚右衛門尉始て此河岸を開けし由を彫る、江戸より行程九里(約35.34km)、民戸十四、此内舟揖を事とする家八四隣、東は新河岸川を境として、対岸牛子村に及び、西より北は砂村に隣り、南は下新河岸に続けり、東西五十間(約90.91m)、南北二町(約218.18m)に足ざる小村なり、水田はなく陸田のみにて旱損あり、検地は慶安元年(1648年)松平伊豆守糺せり、此頃より川越城附の村にて今も松平大和守が領分なり、
新河岸川
村の東境を流る、北の方砂村より入、南の方下新河岸へ逹せり、川幅十三間(約23.64m)ばかり、
弁財天社
村持、
阿弥陀堂
村持、
諏訪右馬亮城跡
已に寺尾村の条に出せり、