久下戸村(入間郡・河越領)

目次

村或は久家土とも書す、庄名及び江戸よりの行程は前村に同じ、村の広さ東西へ八九町(約872.73m〜981.82m)、南北一里(約3.93km)許、東は渋井村新田及び古谷本郷に続き、南は渋井・大久保の二村に隣り、西は今泉村、北は小中居・古谷本郷の二村なり、家数百七十軒、畑多く田少し水旱共に患あり、村内一条の往来を通ず、河越城下より新座郡引股町への道なり、慶安元年(1648年)検地あり、其後明暦二年(1656年)及び延宝(1673年〜1681年)・元禄(1688年〜1704年)の三度武蔵野新墾の地を検せしことあり、其地は爰より一里(約3.93km)許を隔てゝ鶴岡村の辺にあり、当村も河越城付の地にて今松平大和守領分なり、

高札場

村の西北にあり、

小名

新堤

綿ノ葉

石井

大ノ田

蔵ノ浦

曲目

八反目

五反田

中戈

西馬場

中瀬

七ツ島

富士塚

村の東にあり、こゝに松樹三株立り、此松に安産を祈れば必験ありなど土人いへり、

氷川社

当村の鎮守なり、観音寺持、

弁天社

第六天社

塚上に立り、

最勝院

天台宗、古谷本郷灌頂院末、寿永山十輪寺と号す、開山詳ならず、当寺の記録の内に寛永十九年(1642年)四月十四日寂す豪山とあれば、是より前の草創なることは知べし、されど慶安(1648年〜1652年)の水帳に当寺をのせず、延宝年中(1673年〜1681年頃)の水帳に載たれば、其頃今の如き一宇とはなりしならん、本尊弥陀を安ず、墓所に宝徳二年(1450年)五月廿七日と彫りたる碑あり、其ゆえんを知ず、

千手院

同宗同末、南角山池照院と号す、開山詳ならず、歴代の僧の寂日を記せしものに、明暦元年(1655年)四月長雄と記したれば、草創は明暦(1655年〜1658年)前なることしらる、本尊弥陀は坐像二尺(約60.6cm)許なる由、春日の作と云、秘仏なれば見ることを得ず、

弥陀堂

観音寺

禅宗曹洞派、渋井村蓮光寺の末、円通山と号す、開山明歴文的、寛永二年(1625年)十二月五日示寂、本尊観音を安ず、 当寺の傍に観音堂ありしかば、今は廃して本尊千手観音をこゝに安置せり、

秋葉社

観音堂

千手院の持、

十王堂

阿弥陀堂

地蔵堂

以上共に最勝院持、