石田本郷(入間郡・河越領)
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石田本郷は河越より北により二十町(約2.18km)に及び江戸より十里(約39.27km)なり、爰も山田庄に属し、三芳野里と呼べり、土人の伝に昔石田・谷中の二村もみな当村の内にて、なべて石田と唱へしとなり、按に谷中村は当村と石田の間に挟り、この村より谷中石田と西へ次第したればさもありしにや、此事まさしき説ならんには三村に分れしとき、本郷の名を冠むらせしならん、【北条役帳】に谷中石田の名見えたれば分村せしも永禄年中(1558年〜1570年)より前のことなるべし、【役帳】のことは其村に付て見るべし、村の四境東は鴨田・伊佐沼の二村に隣り、南は北田島村西は谷中・石田・菅間の三村にまじはり、北も菅間村につゞき、又古川の堤を限り、比企郡川口・鹿飼の村々にも隣れり、東西八町(約872.7m)、南北一町半(約163.6m)に余れり、民戸六十余、水田多く陸田少し、爰も用水は下寺山村より入間川をせき入る、御打入の後酒井雅楽頭忠世に、河越城の廻り五千石を賜りし其内なり、夫より同氏讃岐守忠勝領せしを、寛永十六年(1639年)松平伊豆守信綱に賜りしより、全く河越城に附せられしかば、領主の遷替は城と同じ、検地は慶安元年(1648年)伊豆守信綱たゞせり、其後新墾の地出来せり、其地は村の艮(北東)の方なり、
高札場
村の南にあり、
小名
四段町
まへ町
五ノ町
古川水除堤
村境にあり、菅間村より鴨田村へそゝげり、
稲荷社
村内観行院の持、
天神社
宝蔵寺の持、
宝蔵寺
天台宗、仙波中院門徒、本尊大日を安ぜり、
松壽院
同宗にて同じ門徒、薬王山と号す、本尊薬師を安、
薬師堂
観行院
同宗にて東叡山末、福寿山と号す、本尊薬師を安ず、
観音堂
十一面観音を安ず、境内に弘長元年(1261年)八月と記し、又光明遍照の字かすかに見ゆる碑あり、