入間川(入間郡)
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水元は秩父郡名栗村より出づ、高麗郡にては名栗川と呼ぶ、郡の南小谷田村と高麗郡仏子村の界より郡中に入、こゝに至りて始て入間川と号す、これより郡界を流れて上寺山村の西より郡へ入、福田村の西にて越辺川に合し、北へ折て比企郡の界を延亘し、彼郡中老袋村の地先にて荒川に入、此間郡界を流るゝこと六里(約23.56km)余、砂利川にて急流なり、水かさ増時は川幅五十間(約90.91m)、或は百間に及べども平常は十間(約18.18m)の二十間(約36.36m)にすぎず深さ纔に三尺(约90.9cm)許なれば通船の便なし、此川の名も古く世に聞えて、古戦の記録又は紀行などにも見ゆ、【廻図雑記】に入間川にまかりてよめる、立よりて影をうつさば入間川、わかとし波もさかさまにゆけ、此川につきてさまざまの説あり、水さかさまにながれ侍ると云一義も侍り、又里人の家の門裏にて侍となん、水の流るゝ方角案内なきことなれば、いつかたをかみしもと定めがたし、家々の口はまことにおもてに侍らず、惣て申かよはす詞などもかへさまなる事ともなり、異形なる風情にて侍りと云々、按に此文の大意は家の作りさま、表をむくべきを裏をむき、土人の辞も鴆舌にて、都の人にはきゝ得がたきと云ことなるべきか、其外文中解しがたき処あれど、当時のさまを見るべければ姑く此に置く、又按に此歌に年波のさかさまになど云縁語あればにや、山岡明阿はこれ年とらず、川のことならんといへどそれは謬なり、下の駒形村年不取川の条を見て知べし、