大岱村(入間郡・山口領)
大岱村は或は大沼田ともかく、郡界を若干離れて元禄図、多磨郡内日比田村所在をいへり、其故を尋るに彼日比田の三字、上の二字誤りて、合せて一字となし、昆田と記せしかば、やがてこんたと唱へ、初加之当村と其呼名響の似たるにより唱へ混じて、其頃公に奉りし地図へもさ書きあやまりしより、再び改がたしとて遂に属する所の郡名までたかひて、元の日比田を大岱と改め当郡に属す、則当村なり、元の大岱は日比田と改、多磨郡に隷することゝはなれり、後日比田の村今の如く旧名に復せしならん、尚多磨郡日比田村の条と合せ見るべし、されば村の四境は南より東北へめくりては、久米川村に接し、南は野口村新田少しくかゝれり、巽(南東)の方は柳窪村に接せり、已上の村々は何れも多磨郡に属せり、村内広さ東西へ六七町(約654.55m〜763.64m)、南北十四町(約1.53km)許、江戸より八里(約31.42km)余の行程なり、民家七十軒、当所は御打入の後までも原野なりしを、其後新墾せし所なり、故に元禄(1688年〜1704年)改定の国図に大岱新田と載たり、この辺にて古新田と呼ぶものなり、皆畠にて岡穂と称する稲をも植ゆ、開墾このかた御料所なり、検地寛文九年(1669年)岡上次郎兵衛・近山五左衛門、延宝二年(1674年)中川中川八郎右衛門・近山五八衛門・今井九右衛門、貞享四年(1687年)大木嘉右衛門・町田次郎太夫等追々新墾の田々を糺せり、
高札場
小名宿通りにあり、
小名
宿通
新堀向
笹久保道
伊豆殿堀
村の西南の方多磨郡久米川村より流来り、又同村へ達す、堀幅は二間半(約4.55m)許、此堀は昔松平伊豆守信綱川越の城主たりし頃、此辺の水利あしきを患ひ、家人安松金右衛門に謀り、公へ言上して遠く玉川の水を引来りて、そこばくの新田を開きしとき、此堀をうがちて其領地へ通じたり、されば伊豆殿堀の名ありと云、安松が事は新座郡野火留の条にいだせり、
稲荷社
別当 大泉寺
曹洞宗、多磨郡青梅村金剛寺末稲荷山と号す、薬師を本尊とす、
地蔵菴
弥陀を本尊とす、祐天寺の持なり、門を入て右の方に地蔵の石像立り、古は此像を本尊とせし故、地蔵菴と号すとなり、