荻原村(入間郡・山口領)

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荻原村は川越城より坤(南西)の方四里(約15.71km)を隔つ、江戸より十二里(約47.12km)の行程なり、爰も宮寺町の分村にて、則今も宮寺郷に属せり、家数三十、四境東は矢寺村にして、南は小ヶ谷戸村なり、西は中野村に界ひ、北は大森村に接せり、四方凡五町(約545.45m)ほど、陸田のみなり、村内に江戸より青梅への往還係れり、当村慶長十九年(1614年)伊達庄兵衛へ賜はりしより子孫今に至るまで知行せり、検地は元禄三年(1690年)時の地頭糺せしと云、

高札場

村の中央にあり、

小名

ハチ

上宿

八幡腰

小林

笠原

梅ノ木ヶ谷戸

御堂ノ後

的場

柳沢新田

西勝院

宮寺山無量寿寺と号す、新義真言宗、多磨郡中藤村真福寺末なり、中興開山智養元和五年(1619年)十一月十五日寂す、相伝ふ此寺に昔宮寺西勝と云ものの住すと、西勝がことは記録なければ知べからず、されど【東鑑】にも正嘉(1257年〜1259年)の頃の人に、宮寺蔵人政員など云人見えたれば、西勝も彼人の族などにやあけりん、又伝ふ加納下野守と云者住せり、其頃までは当寺矢寺村の内に在しを、下野守が計ひにてこゝに移せしと云、本尊は薬師なり、

十王堂