小ヶ谷戸村(入間郡・山口領)
公開日:
小ヶ谷戸村は川越城より坤(南西)の方四里半(約17.67km)を隔つ、爰も宮寺郷の内なり、江戸より行程前村に同じ、戸数三十二、東は矢寺・麹谷の二村に隣り、南も矢寺村にて、西は中野及び二本木に至り、北は矢寺・荻原の二村に錯れり、東西も南北も共に十町(約1.09km)あり、陸田多くして水田は至て少し、村内に青梅への往還係れり、御入国以来一村都て代々太田八十郎が采邑にて、昔は爰に住せしとぞ今も村の中に地頭屋敷跡とて、四段七畝二十五歩(約4,743.80)の地あり、検地は寛文五年(1665年)地頭の縄なりと云、村の北方に段別十四五町(約13.88〜14.88ヘクタール)の地あり、武蔵野新田にて当村の持添なり、検地は伊奈半左衛門改しと云、爰は御料所にて御代官支配す、
高札場
村の中央にあり、
小名
竹の花
まゝの下
金井沢
並木松
丸山
佐々山
椴曽山
縄竹
鍛冶屋敷
大橋
後まつち
武塔天神社
村の鎮守なり、武塔天神のことは前の中野村武塔社の条に弁ぜり、当社例祭二月廿五日と定るは、天神と号するに因て北野と混じ、誤て祭日を定めしなるべし、円乗寺の持、
円乗寺
寺領三石の御朱印を賜へり、新義真言宗、多磨郡中藤村真福寺末、寿永山東光院と号す、中興開山を知賢と云、正保三年(1646年)十一月二十六日寂す、本尊薬師は坐像にて長一尺(約30.30cm)、恵心の作なりと云、
薬師堂
天王社
虚明僧正独鈷松
本堂の前にあり、枝葉盤屈して径り十五間(約27.27m)許、此松昔長谷僧正と云者手植にせしと云伝ふ、長谷僧正は時代詳ならず、虚明は其名なるか長谷は宗門の本山なれば、恐らくは虚明爰に住して此松を植、後に僧官に昇りて長谷へ住せしならん、
虚空蔵堂
村民の持、