花木村附新田(入間郡・金子領)
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花木村は金子郷桂庄八瀬里に属せり、按に郡内新堀村金山権現の神体に、武州高麗郡葛□郷花木宮、天正七年(1579年)己卯、九月吉日妙泉坊とあり、葛下の一字読得されど、今此村名を花ノ木と云庄名を桂と云、且高麗郡にも接界せし所なれば、花木と云しは爰のことにて、彼の宮も元は爰有しや、按に【小田原役帳】花ノ木某寄子給三百八拾壱貫六百文、金子郷とありて、国郡の名をのせず、恐らくは某この花木村の人にて、在名をなのり寄子給は、則此金子郷の内にて賜はりしか、姑く疑を記して識者をまつ、江戸より行程十二里(約47.12km)、四境東は中野村に隣り、南は二本木村・栗原新田に交り、西は下谷ヶ貫村に及び、北は山丘の峰を限て高麗郡阿須村に境へり、東西三町(約327.27m)、南北十四町(約1.53km)余、陸田のみにて水田はなし、民戸二十余、村の北に四町(約3.97ヘクタール)余の御林あり、御入国の後正保(1644年〜1648年)の頃は御料私領入会にて、御料は設楽権兵衛支配し、私領は樋口又兵衛・須田次郎太郎知行せしが、其間元禄五年(1692年)御代官依田五兵衛検地す、其後樋口が領所は上りて御料となり、今も御料所と須田次郎太郎の采邑交れり、又本村の南十五町(約1.64km)を隔て、段別二町(約1.98ヘクタール)余の新田あり、宝暦八年(1758年)伊奈半左衛門検地す、御料所にて民家なし、
高札場
村の東にあり、
小名
狸川
根田
稲荷前
袖畑
西袋
そつ川
桂川
下谷ヶ貫村より入中神村へ沃ぐ、川幅五間(約9.09m)ばかり、
山神社
当村の鎮守なり、