入間川村之内 沢村(入間郡・未勘)
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本村の東にあり、村の四境東は加佐志村、南は北入曽村、西は本村及び田中の二村にて、北は上奥富村なり、田畠のさま及び検地等は本村と同じ、御打入の時小笠原太郎左衛門に賜はりしが、其内十五石の地を天岑寺へ寄附せしことを願上しかば、慶安二年(1649年)八月廿四日永く彼寺へ賜るべきの旨御朱印を下し賜へり、其余は今も太郎左衛門が子孫次郎知行せり、家数二、
天岑寺
曹洞宗、多磨郡滝山村少林寺末、天龍山と号す、当寺の来由を尋るに、元此地に観音堂ありしを、三ッ木村の百姓四郎左衛門と云もの一寺とせしといへど、其頃の寺号は伝へず、四郎左衛門は天正十七年(1589年)二月朔日死せし人なりと云へば、年代推てしるべし、開山は天海盛春と云僧にて、寛永四年(1627年)六月十六日寂す、文禄三年(1594年)の頃地頭小笠原太郎左衛門安勝、其父摂津守安元が墓を、三河国養門寺より当寺境内へ引移し、寺領寄附し再興して世々の檀越となれり、安元が法名を天岑院徳翁紹恩と云、故に寺号をも改めて法諡の字を用ひしといふ、本尊は釈迦を安置せり、
鐘楼
鐘は宝永五年(1708年)の銘あり、
衆寮
弥陀・大日の二像を安ず、