高倉村附新田(入間郡・金子領)

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高倉村は河越城より西方なり、当村元より一村なれど、土人は二区に分ち御料の方を東といひ、田安殿の領をば西と唱ふれど、全く私の唱なり、民戸八十六、四境東は黒須村に接し、南は扇町屋村に隣り、西は小谷田村に及び、北は入間川を限て高麗郡篠井村に堺へり、東西七町(約763.64m)、南北へも七町(約763.64m)に余れり、陸田多して水田は少し、此村御入国の後正保(1644年〜1648年)の頃は御料私領うち交り、御料の方は設楽孫兵衛支配し、私領は高室三郎采邑たりしたが、後私領の方は田安殿領地となり、御料の所は今も御代官支配せり、寛文十三年(1673年)深谷喜右衛門検地せしことあり、本村より十町(約1.09km)許を隔て高倉新田と云本村持添の新田あり、民戸はなく、段別十六町(約15.87ヘクタール)余、宝暦八年(1758年)伊奈半左衛門検地す、爰も田安殿の領分なり、

高札場 二ケ所

御料の方は東にあり、田安殿は西方にあり、

小名

宮の上

駒ヶ沢

はせみ山

中野

北久保

山崎

孫田山

若宮

和田

富士久保

小松久保

八幡社

村の鎮守にて、村民の持なり、

氷川社

是も村の鎮守なり、村持、下二社持同じ、

富士浅間社

稲荷社三字

高倉寺

洞派の禅宗、高麗郡中山村能仁寺の末、光昌山と号す、本堂の軒に享保二年(1717年)の銘を彫たる撞鐘をかく、開山は能仁寺三世財室天良、天正十八年(1590年)十一月十七日示寂、本尊弥陀を安ぜり、

観音堂

相伝ふ此堂は昔し故あつて新座郡白子村より引来りし由、且飛騨の内匠が作れる堂にて、鳥の巣或は蜘蛛の糸を張ことなし云へり、本尊十一面観音を安ぜり、

白山社

馬鳴堂

蚕の守護神なり、

宝行寺

高峰山と号す、修験にて篠井村観音堂の配下、