藤倉村(入間郡・未勘)

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藤倉村は川越城より坤(南西)の方一里(約3.93km)を隔つ、江戸より十一里(約43.20km)の行程なり、葛茂川庄八瀬里と云、同郡大塚村の名主先祖藤倉大膳と云者開発す、因て此村名を負はせたり、慶安(1648年〜1652年)の頃までは藤倉新田と云ひしが、いつの頃よりか藤倉村となれり、村の四境東は山城及び大袋新田の二村に隣り、夫より南西の方までも即ち大袋新田を繞らし北は増形村に接せり、民家三十余、用水は下奥富村より引来り、水利不便にしてしばしば旱損す、御入国の後御料所となりしを、寛永十六年(1639年)松平伊豆守に賜はれり、慶安元年(1648年)即ち同人検地す、其後上りて又御料となりしが、宝暦十三年(1763年)村内を裂て山木才次郎に賜はり、余は尚御料所なりしを、後秋元但馬守に賜はり、今に其子孫左衛門佐及び山木万之助が所領なり、

高札場

村の東にあり、

小名

庄本

かき田

天神社

村の鎮守なり、

別当梅林寺

天台宗にて、本寺はなし、

観音堂

如意輪観音を安ず、村民の預る所なり、