大在家村(入間郡・未勘)
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大在家村は川越城の西にあり、江戸より行程十三里(約51.05km)、こゝも浅羽郷松山領に係れり、【北条役帳】に三貫四百三十五文、入西郡卯検見大在家布施弾正左衛門と見えたれば、この辺入西郡と称せし類しるべし、何の頃よりか郡内森戸村持添となり、爰には民家もなし、東南はなべて上浅羽村に接し、西は厚川村に隣り北は大塚村なり、東西二町(約218.18m)、南北六町(約654.55m)、用水は高麗川を沃ぎて、水田は多く陸田は少し、御入国の後朝比奈三之丞に賜はり、正保(1644年〜1648年)の頃までも同人の知る処なりしが、後上り地となり松平美濃守領分に賜はり、夫もほどなく上りて宝永年中(1704年〜1711年)深津氏に賜へり、夫より引続き今も子孫弥八郎が知行也、
小名
浅羽屋布
浅羽氏のものゝ、住せし処なるべけれど、今は伝へず、
鶴巻
高麗川
北方なり、厚川村より流入上浅羽村にそゝげり、