下河原村(入間郡・未勘)
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下河原村は川越城の西三里(約11.78km)にあり、江戸よりは十三里(約51.05km)の行程なり、浅羽郷に属す、民戸五十七、村の四方、東は高麗川を隔てゝ四日市場村に接し、西南は田波目・長瀬の二村に隣り、北は市場村なり、東西二十町(約2.18km)、南北八町(約872.73m)、用水は高麗川の水を引けども、水田は少く陸田多く水旱共に患あり、【北条役帳】には拾六貫八百八十六文入西郡下河原奈倉加賀と見えたり、古くよりの一村なりしことは論なし、御入国の後慶長年中(1596年〜1615年)は伊丹播磨守領せしに、寛永三年(1626年)上りて藤掛六右衛門に賜はりて知行せし間、元禄十六年(1703年)検地せしことあり、後宝暦(1751年〜1764年)の頃一たび御料所なりしが、又旧に復し今も藤掛内匠が知る所なり、
高札場
村の中程にあり、
小名
鍛冶屋坊
昔鍛工住し故にこの名ありと、
舟原
高麗川
村の東南を流る、田波目村より入、森戸村にそゝぐ、
浅間社
村の鎮守にて、社領七石は慶安二年(1649年)に賜へり、延命寺の領、
延命寺
息災山吉祥院と号す、新義真言宗、高麗郡新堀村聖天院の末、元は天台宗なりしなどいへど、改宗せし来由及び年歴を伝へず、開山信栄広とのみ伝へて、示寂の年をしらず、本尊不動の坐像を客殿に安ず、鐘に延宝四年(1676年)の鐘を掛、
阿弥陀堂
観音堂
古碑二基
一は長禄三年(1459年)、一は貞和二年(1346年)、の字を刻す、