阿諏訪村(入間郡・未勘)
阿諏訪村は川越城より乾(北西)の方四里(約15.71km)を隔てり、江戸より行程十六里(約62.83km)、村名のことは毛呂明神秩父郡高山の峯より、あすは毛呂郷へ飛去んとの神託によれると云、俗説あれども取にたらず、東は毛呂本郷、南は小田谷村、西は山を隔てゝ黒山村及高麗郡長沢村に隣り、北は瀧野入村なり、東西六町(約654.55m)、南北へは一里(約3.93km)許、地の高低西は山につづき、東は平にして陸田多く水田少し、御入国の後は御料所にて、検地は慶長二年(1597年)糺せしよし、水帳に武州入西郡高麗領之内阿諏訪村と記せるのみにて、時の奉行の姓氏は伝はらず、其後寛文八年(1668年)御代官坪井次右衛門が糺せしことあり、又享保年中(1716年〜1736年)開発の地ありし処は、時の御代官荻原源八郎・御勘定布施弥一郎・菅沼久次郎等承りて検地せしことあり、後川田玄番が支配せしとき、酒井備中守に賜りしより、今の主殿に至て替らず、
高札場
村の中程にあり、
小名
本宿
岩間
ひつこ沢
梅本
長坂
阿諏訪坂
丸山
瀧谷山
或は要害山とも書す、上り十町(約1.09km)許の山にて、瀧野入村の境にあり、昔阿弥和巳之助と云る者の、陣屋ありし処なりと、伝のみたれば事迹を考ふべからず、
阿諏訪川
村内の深沢若くは谷間より湧出して一条の流となり、東より西へ流れ、瀧野入村境にて毛呂川に合せり、此水村内の用水に引用ゆ、
一枚岩橋
阿諏訪川に架せり、土橋にて長七八間(約12.73m〜14.55m)、
雷電社
瀧野入村と接地にあるを以、村内大行寺及瀧野入村行蔵寺の持にて、隔年に雨村より祭祀を執行ふ、
山王社
村の鎮守にて、大行寺の持、
瘡守稲荷社
行福寺の持、
大行寺
新義真言宗、龍谷山地蔵院と号す、郡中今市村法恩寺の門徒、寛正六年(1465年)の草創にて、道節禅門と云る人の開基なるよし、此人の俗称を失へり、本尊地蔵を安置せり、
行福寺
曹洞宗、滝野入村高福寺の末、行知山と号す、本尊釈迦を安ぜり、