沢木村(入間郡・入西領)

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沢木村は戸数二十余、東は和田・戸口の二村に隣り、戸口の界は葛川を限とす、南は小山・新堀の二村にて、西は金田村なり、北は比企郡石坂村に隣りて越辺川を界とす、東西六町(約654.55m)余、南北も同じ、水田多く陸田少し、越辺・葛川二流の間に狭まるを以屡水損あり、【北条役帳】に岡上主水助が知行、入西郡沢木郷十一貫二百卅八文と載たるは、当村のことなり、御入国の後本郷庄右衛門に賜はりて久しく知行せしが、何の頃か其半を減ぜられて御料所となり、後年清水殿の領知となりしに、寛政七年(1795年)重好卿逝去の後、又御代官所に属して今も御料所なり、私領の方は今も庄右衛門が子孫丹後守が知る所なり、検地は延宝六年(1678年)時の御代官近山与左衛門糺せり、

高札場

村の中程にあり、

小名

鎌田

すみた

徳行

中堀

下多

虎松橋

新堀金田

宮田

うづらしま

つるまき

柳田

中丸

たつちうは

金子

越辺川

村の北を流る、金田村より流来り、和田村へ達す、川幅三十間(約54.55m)、平水は十四間(約25.45m)なり、步行渡りあり、冬春は板橋を架せり、

葛川

戸口村の境を流れ、村内にて越辺川に合せり、川幅三間(約5.45m)、泥川なり、

金子屋敷蹟

東の方戸口村の境にあり、凡六畝(約595.04㎡)ばかりの地なり、土人は金子十郎が邸蹟なりと云伝ふれど、其証跡明ならず、