【和名鈔】所載合郷二

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上総

加無豆布佐かむつふさと訓ず、今其遺命をしらず、

高麗

古万と訓ず、今高麗郷高麗本郷あり、此郷を唱ふるもの合計十四あり、

其名の起は【続日本紀】に天平勝宝元年(749年)十一月己未、背奈王福信従四位上改本姓賜高麗朝臣云々とみゆ、此頃より唱初めしにや、

又【七党系図】丹の党の内、高麗五郎経家なるもの見えたり、郡内新堀村の民が蔵せる正平(1346年〜1370年)観応(1350年〜1352年)の頃、高麗彦四郎経澄その余同氏のものへ、足利将軍より賜りし文書あり、此等の人々も地名を以て氏とせしことに思はる、されば領名もここに起るならんか、とにかく旧き唱なることは論なし、

広瀬

比呂世と訓ず、入間郡の部に出たり、後世本郡に属す、説前に弁ず、