上寺山村(入間郡・河越領)
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上寺山村は河越城より乾の方十五町(約1.64㎞)程を隔つ、江戸より行程十二里(約47.12㎞)、相伝ふ昔天文(1532年〜1555年)の頃は寺山佐渡守宗友と云人此地に住せりと、されば此地名起りしか、然れども其邸跡今何れの所なりや伝らず、山田庄に属す、家数五十、東は宿粒村に隣り、南は今成・小室・小ヶ谷の三村に接し、北は中寺山村に続き、西は高麗村・鯨井村に隣り、入間川を堺とす、陸田少く水田多し、用水は小ヶ谷村より入間川を引て灌ぐ、慶安元年(1648年)時の領主松平伊豆守検地し、其後明暦二年(1656年)新墾の田の検地も又同人糺せしとなり、【北条役帳】には大道寺が知行二百十一貫百十二文と記し、河越三十三郷の内なる由を載す、御入国の後も河越城附にて、今は松平大和守が領地なり、村内に河越より秩父へ通ふ往還かゝれり、中寺山村より入て宿粒村へ達す、
高札場
村の中央にあり、
小名
筑後町
宮本
姥神
入間川
村の西にあり、小ヶ谷村より入て、北の方中寺山村に達す、川幅八十間(約145.44cm)中央を郡界とす、此川に添て堤あり、
八口(ヤツクチ)社
上中下寺山村の鎮守にて、本地は千手観音なり、村内本山修験、林蔵院持、
末社
稲荷姥神合殿社
神明疱瘡合殿社
観蔵院
上寺山と号す、新義真言宗、勝呂大智寺の門徒なり、本尊大日を安ず、
天神社
観音堂
十一面観音長一尺二寸(約36.36cm)、行基菩薩の作なりと云、観蔵院の持、
釈迦堂
同院の持、
林蔵院
本山修験、西戸山本坊の配下なり、本尊不動を安ず、