中寺山村(入間郡・河越領)
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中寺山村は河越城より乾(北西)の方十八町(約1.96㎞)を隔つ、江戸より十二里(約47.12㎞)、山田庄三芳野里に属すと云、家数二十九、其地は上寺山村の北の続きにて、東は宿粒村に隣り艮(北東)は網代村に接し、北は下寺山及び福田の二村なり、西は高麗郡鯨井村にて入間川を界とす、東西二百十間(約381.8m)、南北千四百十間(約2.56㎞)、水田多く陸田少し。用水には入間川の水を分ちて引き用ゆるに便利なれば、水旱共に患少しと云、検地は延宝九年(1681年)時の地頭松平伊豆守信輝糺せり、御打入の後川越城に属して今松平大和守領せり、
高札場
今村の中にあり、名主の構への前に建るを常とす、
小名
金山
宮田
平内町
千法免
鴻巣
八つ口
入間川
村の西の方を流る、上寺山村より流れ来り、下寺山村へ達す、川幅六十間(約109.1m)許り、中央を郡界とす、此川に添て水除堤あり、寛永年中(1624年~1644年)松平伊豆守が築きし所なりと云、
用水分水口
村の中程にあり、入間川を分ち引て当村及下寺山村・網代村・志垂村・宿粒村・府川村・石田村・谷中村・菅間村・石田本郷・鴨田村・高畑村都て十二ヶ村の用水とす、
神明社
観音寺の持、
観音寺
八王山普門院と号す、新義真言宗、井草村金性院末、開山永竪延宝九年(1681年)七月廿八口示寂す、本尊正観音長三尺三寸(約99.99cm)、相伝ふ此像は応仁年中(1467年~1469年)入間川の水庭より出現せしを時の人尊崇し草堂を建て安置せしが、遙の後当寺を起立して本尊とすと云ふ、昔の堂ありし所は村の坤(南西)の方僅の除地、今稲荷社のあるとこゐと云、