赤尾村(入間郡・河越領)
赤尾村は河越城の北三里(約11.78km)を隔つ、江戸より行程十四里(約54.98km)なり、勝呂郷松山庄と伝ふ、或は松山郷とも唱へりと云、此村開墾の年代は伝へず、按に郡内堂山村最勝寺什物書写大般若経の末に、応永三年(1396年)赤尾阿弥陀堂住海禅とあり、此赤尾と云は当村のことなるにや、さあらんには当時村内に弥陀堂ありしならん、村の広狭東西六町二十間(約690.91m)、南北十八町三十間(約2.02km)、東は越辺川を境として、比企郡吹塚斯田・中山の二村にて、南は小沼・青木・塚越・石井の四村に隣り、西は島田村に及、北は又越辺川を限りて比企郡正代・早又・長楽・戸守の四村なり、水田多く陸田少くして用水場なり、民家百五十余、地頭は寛永(1624年〜1644年)の頃松平伊豆守・大久保勘三郎二人なりしが、後松平美濃守吉保一人に賜はり、夫より秋元但馬守領分となり、是もかはりて明和五年(1768年)松平大和守に賜はり、今もしかなり、検地は元禄十二年(1699年)時の領主松平美濃守吉保糺せり、
高札場
巽(南東)の方にあり、
小名
あせい町
金子町
はつふ町
渡戸町
ます田町
たかまはら
上木戸町
永代分町
勝瀬町
越辺川
村の東より北へ続りて郡界を流れ、嶋田村より村内を経て小沼村へ達す、川幅二十間(約36.36m)、常には十間(約18.18m)許り、砂利川にて歩行渡り、川に添て水除堤あり、
白山社
村の鎮守なり、本地仏は十一面観音にて銅の華鬘に彫たる物なり、村内修験明王院の持、
大威徳明王社
村内光勝寺の持、
諏訪社
同寺の持、
稲荷社 二字
是も同寺の持なり、
荒神社
村内修験吋院持、
成就院
禅宗曹洞派、龍ケ谷龍穩寺末、天神山と号す、本尊釈迦を置、此寺古へは庵にて村の西の方堂屋敷と云所に在りしを、鉄心と云僧一寺となしければ、則鉄心を開山とす、此僧寛文四年(1664年)七月廿八月寂す、
天神社
三芳野天神と云、土人菅公の廟と呼ぶ、河越城内の天神を擬して祀ると云、神体も五本骨の扇なりしが、近き頃二本を足して、七本骨とし、却て河越城中の神体と異にせりと云、地紙は板にて骨は赤銅をもて作れる、中に小なる銅の仏像を付たり、何仏とも見分難けれど、古き物には非ざるべし、
観音堂
正観音を安ず、
光勝寺
新義真言宗、石井村大智寺末、明王山と号す、開山円音寂年を伝へず、法流開山を朝慧と云、宝暦六年(1756年)七月十六日示寂す、本尊大日なり、門前に古碑二基あれど、文字漫滅して読べからず、又境内に貞治(1362年〜1368年)元亨(1321年〜1324年)永正(1504年〜1521年)等の古碑あり、