神谷新田(入間郡・河越領)
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神谷新田は河越城より南にあり、郷庄の唱へを伝へず、開発の始を尋るに横見郡吉見の農民、神谷を氏とせる内蔵助と云る者来て墾開せし故に、此名を得たりといへど、年代は伝へず、今名主内蔵助は其子孫なり、江戸より行程十里(約39.27km)、民家二十余、東より北へわたりて下富村に隣り、南は所沢新田に接し、北は堀兼村新田に交り、東南の間には平塚新田も少しく繋れり、東西三町(約327.3m)許、南北五六町(約545.5〜654.5m)、水田なく陸田のみの所なれば、動もすれば旱損す、村内に一条の路あり、所沢村より河越町への往来にて所沢新田より入、下富村に逹せり、検地は元文元年(1736年)大岡越前守(忠相)、宝暦八年(1758年)伊奈半左衛門(忠宥)改定し、今も御代官所なり、
高札場
北の方村の端にあり、
小名
常盤原
八雲原
業平久保
桜久保
稲荷木
梅原
野鷄ヶ久保
月見
稲荷社
村民の持、
観音堂
是も村民の持、