下新河岸(入間郡・河越領)

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下新河岸は郡の巽(南東)にあり、郷庄の唱上村に同じ、江戸より行程十里(約39.27km)、新河岸川に傍し村なり、村名の起りし謂れは前村の条に弁せり、四隣東は新河岸川を限り、牛子村に境ひ、西は砂村に交り、南は寺尾村に続き、北は上新河岸なり、東西へ五町(約545.45m)、南北三町(約327.27m)許、民戸十五、水田なく陸田のみにて、しばしば旱損す、是も前村と同じく元禄(1688年〜1704年)前の開発なるべし、検地は慶安元年(1648年)十月松平伊豆守糺せり、其時の水帳に新河岸と記せり、後元禄六年(1693年)八月も同人糺せり、此時の水帳には下新河岸と記したれば、此以前上下の名分れしなるべし、又承応二年(1653年)九月・延宝三年(1675年)・元禄七年(1694年)の三度に時の領主おひおひ新墾の田を糺せり、村内一条の往来あり、村の中間を西に貫り道幅三間(約5.45m)許、何の頃よりか川越城附の村となり、今も松平大和守が領分なり、

高札場

村の中央にあり、上下を合せし高札場なり、

新河岸川

上新河岸より入り、東辺の村境を流れ、寺尾村へ逹せり、幅十間(約18.18m)許、

新河岸橋

板橋なり、東方牛子村の境に架す、長八間(約14.55m)、破損すれば、牛子・南田嶋・木ノ目・並木・小中井・大中井・高嶋・八ッ嶋・古谷本郷・古谷上十々村組合て修理を加ふれど、費用は公より出ると云、

弁財天社

社の繞りに池あり、

蓮華院

天台宗、古谷本郷灌頂院の門徒、本尊観音、此堂は木ノ目長者の建立と云と、此人のことは伝へず、郡内木ノ目村に木ノ目長者の屋敷跡と云所あり、是のみにて外に拠とすべきことなし、堂の入口の上に菊に五三桐を並べ、下に三ッ鱗の紋を付たり、是等を以て考れば、若し北条氏などにゆかりありし者なりや詳ならず、当院衰へ今は寺院と云べくも非ず、僅に堂を構て観音を安じたれば、寺号をば唱へず、観音堂とのみいひ伝へり、

山王天王天神合社

諏訪右馬亮城蹟

已に寺尾村の条に弁せり、