宮ノ下

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宮ノ下は城北の屋敷町の東の端を云、こゝに氷川社ある故にこの地名あり、これも十町の外なり、

氷川社

祭神は五座素戔嗚尊・奇稲田姫命・大国主天神・脚摩乳神・手摩乳神今は手摩乳神を除きて四座なり、人皇三十代欽明天皇即位八年(547年)辛酉の秋、当社氷川を勧請すと云と、いかゞはあるべき、例祭正月十五日・九月十五日行はる、中にも九月は十日より氏子のもの、よりつどひて頗るにぎはへり、昔は田楽・角力などを興行せしが、慶安元年(1648年)より神輿をわたし同四年(1651年)より万度をいたし、又屋台など云ものを大路をわたすとなり、元禄(1688年〜1704年)の後は弥さかりにして、上五町、下五町とわかち、きそひて種々の造物を出し、祭礼終りて十六日に至れば、各町々にて躍り舞ふことあり、これを俗に笠脱と云、これらの故事今に至るまでかはらず、当社古より始終おとろへずして、神徳さかりなりしにや、昔太田道灌沙弥当所に在城せし頃、社頭にまふでてよめる歌の詞書に、氷川の社に奉納の和歌をすゝめられて、老らくの身をつみてこそ武蔵野々、草にいつまで残るしら雪、

神輿蔵

神楽殿

供所

末社

天王社

三峰社

子権現社

天神社

八幡社

春日社

疱瘡神社

稲荷社

山王社

雷神社

人丸社

神職山田伊織

吉田家の支配なり、