南町
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南町は札の辻より南にあるを以名づくと云、昔は灰市場とて灰をひさぎしもの居し所なり、今も灰をひさぐ家二軒あり、此往還は南より北へ開けて札の辻に至り、こゝを限として東明寺村の飛地と高沢町とに接せり、東は本町・多賀町に接し、西は行伝寺・養寿院門前町に限る、南は鍛冶町及び東明寺村の飛地にさかひ、北は高沢町に及べり、
長喜院
冷月山と号す、曹洞宗、喜多町広済寺の末寺なり、天文(1532年〜1555年)・永禄(1558年〜1570年)の頃大道寺駿河守が甥、大道寺権内長喜と云もの此地に住せり、後遺跡に当寺を草創す、此人永禄五年(1562年)十二月十一日歿せり、法名を冷月長喜居士と号す、よりて山号寺号とせり、開山大翁文広文禄元年(1592年)九月廿三日寂す、本尊釈迦を安ず、
鐘楼
鐘は延享五年(1748年)鋳し所なり、
弁天社
白山社
識法院
養寿院大門の南側にあり、本山修験にて如意山と号しまた熊野堂とも云、俗姓は榎本氏にて、その先は紀伊国熊野より来り住せしと云事は、本町にすめる弥左衛門が条にしるせり、本尊不動は立像にて長二尺五寸(約75.76cm)ばかり、興教大師の作なりと云、