行伝寺門前町

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行伝寺門前町は、南町の大通より西へ折れ廻りて行く往還なり、又杉原町へ出る間を新門前と云、元和年中(1615年〜1624年頃)にひらけし所なりと云、

行伝寺

日蓮宗にて池上本門寺の末寺なり、朝田山と号す、開山日山、古くは行典寺とかきしとみゆ、永和年中(1375年〜1379年頃)起立す、日山は本山第四世の住僧にて、永徳元年(1381年)九月七日化すと云、この寺昔は今の城中内郭の所にあり、城引移しのときもそのまゝたてりしを、天文年中(1532年〜1555年頃)に至りて城下松郷へ移され、かしこにあること数十年なりしが、元和五年(1619年)三月朔日回禄にあひぬ、明る六年(1620年)二月十九日今の地へうつりしよし、寺記にのせたり、

寺宝

経文一葉

七八寸(約21.21cm〜24.24cm)四方なり、日蓮の筆なりと、

経文一葉

これもわづか許なる残闕なり、奥書に弘安元年(1278年)大歳甲寅三月廿日、手塚半助法号宗昌授与之とあり、

蔓荼羅一幅

日朗の書なり、

題目一幅

これも同書なり、

科止観一部

大僧正天海手沢の本なりと云、奥書に元和元(1615年)丁巳暦玉律上旬、西京於北野経堂常明寺宗存令刊摺之畢、又法華文句科止観の末に、此科文句廿三帖之内、仙波二老所化慈心坊以秘計、於江戸従南光僧正文庫之内取出、令感得茲而巳、于時寛永元(1624年)稔(太才甲子)仲春時正日、河越之内朝田山行典寺第四継踵行専院日椿とあり、

大鼓一

径三尺一寸(約93.94cm)尢古色に見ゆ、相伝ふ昔松山城中にありしものなりと、いかなる故にか、もとの城主酒井讃岐守忠勝が家人、田中某当寺へ寄進せしと云、銘文なければ造りし年代はしるべからずと、

古過去帳一冊

延徳(1489年〜1492年)明応(1492年〜1501年)の頃を始として多くの法名を記せり、中にも松山の上田氏、世々の諡号俗名をのせしなどは、考証ともすべきものなり、その余にもかゝる体多けれど、大抵国中の人物なれば、其人の伝に引用せしゆへこゝにはのせず、

惣門

元和九年(1623年)五月廿八日建立せしと云、

中門

相伝ふ此門は昔当城の上戸にありし頃の門なりしを、後に城主より寄附せし所なりと云、いかさま四百余年のものと見えて、両柱に虫食し痕多し、萱葺にていと古質に見ゆ、朝田山の三字をかゝぐ、落款に大明虎林白山人陳氏元、□姜都甫正嫡、梅峰悠々翁、敬書とあり、

本堂

本尊三宝を安ず、

鐘楼

此鐘ゆへ有て多賀町の防火楼に移して、今は楼のみ立り、

三十番神堂

大黒の像を相殿とす、

稲荷社

疱瘡神社

黒池菴

塔頭

愛正院

今は廃せり、

円行院

是も今は廃す、昔は此二院の外にも塔頭多かりしが、寛永年中(1624年〜1645年頃)不受不施の戒律を偏執せしにより、院主の罪を蒙て廃せらる、