坂下村(入間郡・山口領)
坂下村は郡の巽(南東)の方にて江戸より行程六里(約23.58km)に余れり、柳瀬庄に属す、村の地すべて低く城村の方より来ればよほどの坂を下る故に、村名をかく呼べるなるべし、家数六十余、西は城村に隣り、北は南永井村に接し東は新座郡大和田村に堺ひ、南は多磨郡清戸下宿にて柳瀬川を界とす、東西三町(約327.27m)ばかり、南北は二町(約218.18m)にすぎす、陸田多くして水田は少し、御打入の頃より御代官所にして、寛永(1624年〜1645年)・正保(1644年〜1648年)の頃は野村彦太夫が御代官所なりしが、明暦元年(1655年)に至り村内を裂て羽田源之丞に賜はりしより、御料私領二分して別郷の如くなりしと云、検地は御料の方詳ならず、私領の方は寛文四年(1664年)八月五日時の地頭たゞせしと云、又其頃村内北の方に僅かの新田開けしにより、同き月十四日彦太夫縄を入て税務を沙汰す、私領は今も源之丞が子孫鐡之助知行す、
高札場二ヶ所
御料の方は東光寺の傍にあり、私領の方は村の中央なり、
小名
中道
下の上
道満前
赤坂
八幡兔
丸窪
稲荷坂
鎌倉坂
村の東の方にて北より南へ下る坂なり、思ふに古の鎌倉海道の中なるゆへかく唱ふるならん、此坂の中程に明徳年中(1390年〜1394年頃)の古碑一基たてり、其来由を詳にせず、
根岸坂
東の方にあり、
稲荷坂
西の方なり、以上二つの坂共に北より南へ下る、
林
東の方なり、広さ九段(約8,925.6㎡)許、地頭の持なり、
柳瀬川
西の方城付より流来り、東の方大和田村へ達す、川幅六間(約10.91m)程、年々冬に至れば土橋を設けて行人に便す、こゝを渡れば多磨郡清戸下宿なり、
堤
柳瀬川に傍てあり、高さ六七尺(約1.82m〜2.12m)許、公より修理を加らる、又村内の用水も此柳瀬川の水を引そゝぐ、
天神社
村の鎮守なり、大学院の持、
東光寺
医王山と号す、曹洞宗、久米村永源寺末、開山は本山第七世孝山大舜慶長十九年(1614年)七月廿五日化す、本尊薬師の坐像恵心の作なりと云、秘仏也とてたやすく扉を披くことを許さず、
衆寮
自山社
毘比羅秋葉合社
大学院
本山修験なり、
阿弥陀堂
東光寺持、