上谷ヶ貫村附新田(入間郡・金子領)

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上谷ヶ貫村は江戸より行程十一里(約43.19km)、小谷田郷金子領桂庄に属せり、四境東は下谷ヶ貫村に隣り、南は二本木村に接し、西は寺竹・三ッ木の新田及び三ッ木村に交れり、北は山峰を限りとして高麗郡阿須村に界へり、東西四町(約436.36m)、南北十八町(約1.96km)、陸田のみにて水田なし、民戸六十余、村内に青梅より扇町屋への往来あり、当村は開発の年歴は詳ならず、慶長十四年(1609年)大久保源三郎忠知・同姓甚右衛門尉長重共に武州谷ヶ貫村・二宮村に於て領地を給ひし由、其家の譜に見えたり、二宮は多磨郡二宮村にて、谷ヶ貫は爰のことなり、正保(1644年〜1648年)中のものにも、大久保市十郎・大久保甚右衛門知行なりしこと見えたれば、此頃より正保年中(1644年〜1648年)迄は大久保氏の領地なること知べし、上下の二村に分ちし年歴も定かならざれど、正保(1644年〜1648年)中のものには正しく一村に記し、元禄(1688年〜1704年)中のものには上下の二村を記したれば、元禄(1688年〜1704年)の前に分ちしことは論なかるべし、延享四年(1747年)上村の方大久保市十郎の知行は上りて田安殿の領知となり、下の分は元の如く大久保甚右衛門知行にて、今も子孫兵庫知行せり、此外村の南に宝暦八年(1758年)伊奈半左衛門検地せる十七町(約16.86ヘクタール)余の新田あり、民家はなし、爰は御料所にて本村の持添なり、

高札場

村の西にあり、

小名

沢田

茶の木畑

榎戸

諏訪林

登戸

合原道

塚の腰

久保

杉の木

をさ畑

外野

稲塚

丸山

小みろく

大みろく

内山

いちご沢

桂川

村の中央を流る、三ッ木村より入、下谷ヶ貫村へ通ず、川幅三間(約5.45m)ばかり、

八幡社

村の鎮守にて、西光院の持、

末社

天神社

山神社

諏訪社

稲荷社

天王社

愛宕社

大日堂

西光院

新義真言宗、多磨郡成木村安楽寺の末、八幡山薬師寺と号す、開山覚覚元和五年(1619年)示寂すと云、本尊不動を安、

薬師堂