藤金新田(入間郡・未勘)公開日: 2026/08/20新編武蔵国風土記稿目次八幡社藤金新田は川越城の乾(北西)の方なり、村名の起りは享保年中(1716年〜1736年)荻原源八郎が承りにて、当所開発のをりから、高麗郡藤金村の民来りて其事を成し故なりと、東西十町(約1.09km)、南北三町(約327.27m)許、東北は関間新田に隣り、南は藤金村に接し、西も同郡臑折村に境へり、民家纔に七軒、こゝも陸田のみを開きたれど、其間に林野交れるは段永をもて貢とせり、新墾以来御料所なり、 八幡社 村の鎮守にて、村民の持、