権現堂村(入間郡・未勘)
公開日:
権現堂村は郡の西端高麗郡と境界せる山間の村にて、川越城より西五里(約19.64km)に当り、江戸より十五里(約58.90km)の行程を隔てり、高麗領に属す、村内小名権現堂に熊野社ある故に、村名となせるよし、東は宿谷村高麗郡横手村に隣り、南は同郡白子村、西も同郡虎秀村に界ひ、北は本郡大谷木村に及り、東西南北共に十五町(約1.64km)許、民家二十余、山の中腹或は谷間に散住せり、用水の便なく天水を仰で耕作をなせば動もすれば旱損あり、されば陸田は多く、水田は僅に十分の一に居れり、検地は寛文八年(1668年)御代官坪井次郎右衛門糺せり、御入国の後久しく御代官所なりしたが、寛政十二年(1800年)平岡美濃守に賜りしより、引続き今は其子石見守が知る所なり、
高札場
村の西にあり、
小名
堂庭
昔秩父郡高山村の不動堂こゝにありしと云、
権現堂
やところ
うち方
長坂
中野
熊野社
村の中小名権現堂にあり、村の鎮守なり、当社は村名の由て起る所の社なれば、古き鎮座なること知らる、三嶋明神を相社とせり、村持、下の堂も皆同じ、
観音堂
正観音を安ず、