中里村(入間郡・入西領)

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中里村は河越城より乾(北西)の方に当りて三里(約11.78km)を隔つ、江戸よりの行程は前村に同じ、家数二十余、東は下戸口村に隣り、又高麗川を限として粟生田村に界ひし所もあり、南の方は高麗川繞りて上下浅羽村に隣れり、西は大塚・峯・塚崎の三村に接し、北は沢木・戸口の二村なり、東西も南北も共に四町(約436.36m)許、陸田多して水田少し、用水は高麗川を分水して便よけれど、川添の地なる故に水損ありと云、検地は貞享四年(1687年)御代官岡田次郎兵衛糺せり、地頭は河村善兵衛・稲生七郎右衛門久しく領し来りしが、安永九年(1780年)所替ありて横田筑後守に賜はりしを、寛政二年(1790年)再び替りて御料所となり、明る三年(1791年)大屋遠江守に賜はりてより、今に其子右近知行せり、

高札場

村の中央にあり、

小名

高田

尉殿

薬師免

川久保

行人塚

白金

高麗川

村の東南にあり、隣村大塚村より流来り、塚崎村に達す、川幅僅に三間(約5.45m)より四五間(約7.27m〜9.09m)許に至れり、

聖天社

村の鎮守なり、村持、

阿弥陀堂

村の堂持、