脇田村(入間郡・河越領)
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脇田村は河越城下松郷の内鉄炮町の続きなり、山田庄に属し、江戸への行程は前村に同じ、当村も松郷とひとしく大抵城下町に続きて町並をなしたれば、四隣の接界および広狭を詳に記しがたし、家数五十軒、昔より城附の村にて、寛文五年(1666年)松平伊豆守検地すと云、
小名
猪の鼻町
城下町に続きたる町並なり、是を本村といへり、
新田町
今は侍屋舗となれり、此町の岐路を横新田町と呼ぶ、昔は大久保町と唱へし由、是は大久休某住せし地なれば、この名ありといふ。
西町
脇田新田とも云、こゝも寛水(1624年~1645年)の頃より侍屋敷となれり、此地の西方陸田の中に塩硝蔵あり、
一番町・二番町・三番町
この三町も今は侍屋敷なり、下の黒門町もおなじ、
黒門町
久保
八幡新田
八幡社
八幡新田の鎮守なり、
本地堂
神楽堂
末社
稲荷社
天神弁天合社
別当 万歳寺
天台宗、城内高松院末、八正山無量院と号す、本尊弥陀の立像長三尺(約90cm)許恵心僧都の作なりと云.
稲荷社
民部稲荷と称す、由来詳ならず、
西雲寺
浄土宗、河越蓮馨寺末、仏名山常行院と号す、当寺は昔清水町にありしを、天和年中(1681年~1684年)にこのところにうつされしといふ、三尊弥陀の坐像を本尊となせり、
鐘楼
宝暦十年(1761年)鋳像の鐘をかけり、
稲荷社
渡唐天神の像を配祀す、