厚川村(入間郡・未勘)
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厚川村は川越城の乾(北西)の方郷庄前村に同じかるべけれど、土人は勝呂郷浅羽庄と唱へり、村の四隣東方は上浅羽・大在家の二村入会ひ、南は高麗郡下新田に境ひ、西は萱方・森戸の二村にて、北は成願寺村なり、東西二町(約218.18m)余、南北十町(約1.09km)、田畑等分、用水は高麗川及び萱方村の残水を引用れど、便あしければ年毎に旱損あり、御入国の後大久保新八郎に賜ひ、其余は御料所なりしに、元禄年中(1688年〜1704年)酒井小平次に賜しより、酒井氏・大久保氏の二給となり、今も子孫大久保筑後守・酒井加賀守の知る処なり、私領の方は寛文八年(1668年)時の地頭大久保某検地せしことあり、今の酒井氏に賜ひし地は、夫より前御料所のをりから寛永十二年(1635年)市川孫右衛門が検地せしことあり、民家八十軒、
高札場 二ヶ所
一は村の中程にあり、一は北の方にあり、
小名
五畝
若宮
城鋪
そうとの
高麗川
村の中程を流る、萱方村より入、上浅羽村に通ぜり、こゝも砂利川にて常には二瀬に流る、河原を合すれば幅は三町(約327.27m)許かりあり、
白髭社
村の鎮守なり、村民の持、
諏訪社
是も村民の持、
大栄寺
新義真言宗、石井村大智寺の末、清水山と号す、元は法道寺と号せしを、後大永寺と改めしが、又文字を改めて今の如き寺号とはなせる由を伝へり、開山は本山世代の僧智存とのみ語り伝へて、寂年等詳ならざれば、草創の年歴を推によしなし、法流開山は覚栄と云、明和九年(1772年)四月八日寂せり、本尊は弥陀を安置なせるなり、
薬師堂
大栄寺の持、